毒親だと再認識した日
高校卒業まで、最低限しか、母と関わらなかったおかげで何とか、精神的にも落ち着いていた。
しかし私が社会人、姉は大学4年の頃だっただろうか。
社会人といっても介護施設で常勤として働いていた時。
朝から、生理痛以上の痛みが襲ってきた。
しかし、その日は早出。7時出勤なので何とか出勤するも痛みで動けない。
夜勤さんのご厚意で帰宅させて貰い、病院に行きたいが、歩けない。
たまたま、家には母が居て『車出して』って言ってみるが、『勝手に行けば。』で終了。
むしろ、転げ回る私をみて笑い、彼氏に電話するっていう、親じゃない行動をしてた。
まあ、原因が尿路結石だったのでよかったけど。。
父の思いと生活
父は離婚したもののやっぱり母が好きなのか、母を家に毎日にあげてました。
母も初めはよかったものの、逆らう人間が居ないと分かると、
父からタバコ代、お酒代、ある時は作った晩御飯を彼氏と自分の分まで持って帰る日々でした。
中学生になってからは、父の弁当、下二人の朝ごはん等を作ってました。
部活がない日や早い日は夜も作りましたが、
夕方から来る母に『量が少ない、味薄い、』などいわれ、最後には味付けを変えられストレスで暴飲暴食を始めてしまった(;´Д`)
毎回されたらストレスたまるしね。
妹誕生
私が4年生になったときに妹が誕生。
誕生してからは、母のイジメもなく平和でした。
初の娘誕生に現父も喜んでいましたが、妹と弟の差別が見えるようになってきました。
それは妹が保育園に行くようになってから。
妹にはお菓子を買うが弟は買わない。
妹は迎えに行くが弟は行かない
妹の発表会は行くが弟のは行かない。
明らかな差別だったので母に抗議もしましたが、全く聞く耳を持ってくれませんでした。